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182  まお ヨナの舞と らんの繚乱 [スポーツ]


                    随想コラム:「目を光らせて」 NO.182

        まお ヨナの舞と らんの繚乱


                         アオウ ヒコ

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     シェリーの「西風の賦」

 さすがに、二月も最後の週ともなると、プリマベーラの吐く息の攻勢が優勢になるのか、つい一週間前までは、エアコンが効かぬなあ、などとぼやきながら、きびしい居座り冬将軍の前でうち震えていたのが嘘のようである。

 イギリスのロマン派詩人P・B・シェリーが1819年、「西風の賦」で if  winter comes, can spring be far behind ? 冬来たりなば 春遠からじ」とうたってから既に190年が経つ。

maoyona2.jpg 冬の後には、そんなには遅れずに、春がついて来ていることですよ。なんなら、後を振り向いてごらんなさい、である。以来、人は冬が来るたび、この詩を思い出し、後を振り返っては、ああ付いて来ている、と安堵し続けてきたのである。

 暖かな早春の日差しを浴びて、庭の紅梅が開き、薄めた木酢液のスプレイでみるみる目を覚ましたかにパンジイが花数を増やし、見上げれば青空にハクモクレンのつぼみの和毛の銀色が多数浮かんでいる。


 長い作業の後、ようやくに剪定、誘引を完了したつるバラの枝には、春の萌芽が赤く見え始めるようになった。それもこれも、太陽球から放たれる光矢のおかげである。あの暖かさが木の芽を呼び覚まし、春を呼び込んでいる。

 本当に太陽の恵みの偉大なること、ありがたいこと。これに優るものはないと、この頃つくづく思うようになった。朝、起床して見上げる青い空から、この大地へとふりそそぐ陽光ほど、人に清々しさを与えるものはないであろう。

 これほど、あらゆる生物に活気を与え、人には浩然の気を養わせ、今日の一日を勇気づけてくれるものはない。(そう言えば「
真綿色したシクラメンほど清しいものはない」という歌もあったことだ。)

 太陽光なくしては人のいのちなどなかっただけに、古から神に近いものを自然界から選ぶとすれば、万物のいのちの源として存在した太陽や、身近なものでは、ちろちろメラメラと炎を上げて動く火が候補に挙がったであろう。太陽神や火神の信仰が古くから行われていたのは、よく理解できることである。


 古い記憶にある言葉、ゾロアスター教を繰って見よう。
 前世紀ペルシアの預言者ゾロアスターの創始した宗教。善神をアフラ=マズダ、悪神をアフリマン(アングラ=マイニュ)と称し、勤倹力行によって悪神を克服し善神の勝利を期することを主旨とし、善神の象徴である太陽、星、火などを崇拝。

アヴェスタ経典を奉じ古代ペルシアの国教として栄え、中国には南北朝の頃伝来、けん教または拝火教と称。7世紀来、イスラム教の興隆とともに急速に衰微。インド西海岸に残る信徒はパルシーと呼ばれる
。(広辞苑)

 イスラム教の興隆でなぜ急速に衰微したかは、不勉強でよくわからないが、善神の象徴である太陽、星、火などを崇拝したという気持は本当によくわかる。

 今の地球には開祖以来、次第に智慧をつけ、それぞれに理論武装をし細分化もしてきた宗教が数多く存在する。それぞれに自己主張をして、勢力拡張に鎬を削っているが、「もし、あなたの宗旨は何ですか?」と問われることがあれば、私は、透かさず臆せず「ゾロアスター教を少々。はあ」とでも答えるか、という心境なのである。


                       
 太陽も、あの勢いで燃え続ければ、いつかは燃え尽きる日が来る。実は今、太陽は中期的な減衰期にあるとも言われている。そのピーク時には地球に氷河期が到来するかも知れず、心配なことではある。とはいうものの、わが今生の間にその事態が生じる惧れは絶無であることだし、そこまで心配するようでは「杞憂」という言葉を作り出した中国の列子おじさんをいたずらに歓ばせるだけのことだ。

 氷河期が到来する前に、地球温暖化でアルプスの氷河が溶けてなくなる心配が先とあっては、まあ、ここしばらくは、地球は表面に多くの生物相を載せたまま、あい変わることなく、するすると自転、公転を続け、冬が来れば、春の来るのを待ち、シエリーの「西風の賦」の一節が永らく歌い続けられることであろう。

     バンクーバーは春の魁
 4年に一度の春の魁、冬季オリンピック(バンクーバー)も、女子フイギュアの大熱戦をもって、そろそろ終りを迎えようとしている。この2月、世界の若人たちによる雪と氷の祭典もなかなかに見応えがあり、楽しめたことだったが、この冬の祭典が終われば、冬来たりなば春遠からじで、まさしく春の到来である。梅は既に咲いたが、桃、桜、チューリップをはじめとする春の草花はこれからである。そして新緑に先駆けて、本番の薔薇へと続く。

 氷上スピード競技では短・長距離共に、いつのまに修練を積んだのか、アジアの韓国勢が台頭して上位を独占し世界を驚かせた。聞くところでは、韓国には首都近郊に広大な常時使用可能な国立体育施設が建造されているという。

 その中には、氷上スピード、フイギュア専門の練習リンクなどがあり、掛け持ちで練習するなどの必要はなく、選ばれた選手たちは心おきなく夜も昼も練習に没頭できる環境にあるという。財閥の支援を受けているらしいが、スポーツ振興にかける国の心意気が感じられてならない。


 金メダルに手が届かない日本勢はせめてコスチュームだけでもと、張子の虎もどきの金色のユニフォームに身を包んでの登場だった。どうも日頃の選手の鍛え方や陸連,水連、氷連(?)などの国家の支援体制に問題や大差があるのか、選手・役員多数が現地に乗り込んだにしては、大きく成績を伸ばすには至らなかったようだ。

 オリンピックで好成績を残す国は、その時期において、国力が伸びていること、経済が隆盛裏にあることが背景にあるようで、今年のバンクーバーでは、中国、韓国などがそれに当るか、国威を遺憾なく発揮した。

 日本はトリノほどの惨ではなかったようだが、メダルとしての金はなく、大きく国威の発揚はならなかった。まあ、それでもトリノに較べればましのほうで、そこそこの戦績を残し「胸を張るでなく、消沈するでなく」のバンクーバーだったとの総括になろうか。


      まお ヨナの舞い
 最後まで、気を持たせたのは女子フイギュア スケートだった。前評判とおりに韓国のヨナ選手が完璧な仕上がりで、日本期待のまお選手を寄せ付けなかった。
 

 maoyona3.jpgmaoyona4.jpgまお選手は素晴らしい大技(3回転半)を2回成功させたが、他のジャンプで二つのミスを重ねたことで差が開き、追いつけなかった。

 彼女は口惜しい、残念と言葉を連発していたことだが、むしろ、勝者を称える言葉を真っ先にもって来れば、その爽やかさでヨナ選手を圧倒できたのに、と惜しまれた。

 それにしても、この二人は近来にない好敵手同志だった。

 バンクーバーではヨナの後塵ならぬ後氷を拝したまおだったが、4年後のソチでの冬には再び23歳同士になったヨナまおの両選手が、冬季オリンピックの銀盤で、お互いの世界一の技量を懸けて相対することであろう。ここではまた、マスコミも狂奔しての熾烈な戦いが展開することであろう。楽しみなことである。では、8年後の冬はどうだろう。

27歳になった二人が8年前からの因縁を引き摺りながら、引き続き4回転の連続ジャンプなどの大技を引っ提げて登場するだろうか。

 その可能性はある。もちろん、この間、世界各国からは若手の台頭もあろう。長洲未来選手のように彗星のように現れて、先人を脅かす後輩の追い上げも熾烈を極めることだろう。これも待たれる。

 ヨナとまお、二人の体内時計が容赦なくときを刻み行くことを思うと、まだ若い二人だよ、という声は高いが、新陳代謝の原則が二人だけは例外というわけにも行くまい。そのうち、世界のトップの座を共に譲らざるを得なくなっているのかも知れない。

 また、一方では、そんなにも長い間、選手の檻に拘束して、彼女らに肉体の鍛錬と精神の緊張を強制することは罪のような気もする。どちらかが、緊張の連続に耐えられずに、戦列を去って行くのもありうる。

 そうは言いながらも、これだけの好敵手同士の冬の美、銀盤を舞うの競演とあっては、いつまでも続けてもらいたいものである。そのときまで、こちらもなんとかイノチ永らえて、稀に見る優れた技を持つ二人の美女による「臈長けた美の対決」を一目見てから、と思うから業なものである。


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スポーツはルールで勝ち負けがはっきりしており、遺恨を残さずと言うところがいい。

 であるから、敗者はグジグジ負け惜しみをいうより、からっとした気持で心から勝者を称えよ、である。負けたことは自らの力が勝者には及ばなかったことであり、もし、再挑戦の機会があるのならば、そこでの捲土重来を期せばいい。勝負が決したときに、勝者を称えることができなければ、次の機会に自らが勝利を握ることは難しくなるのではなかろうか。


 この2月、TVの前で世界から参集した冬のアスリートたちへ、大いに声援を送ったが、特に日本のメダル組の諸君にはいい思いをさせてもらった。

 一方、負けはしたが、言訳などせずに、全力を尽くして技を競った日本選手の健闘も大いに称えた。ありがとう。負けても爽やかだった選手諸君へも大いにありがとう、である。

金メダルを獲得したのは束の間、反則で失格したとき喧嘩腰で抗議した某国の役員、棚ぼたでメダルが銀から金に繰り上がったときの某国選手団の狂喜ぶり、見るに見かねた、唾棄すべき一幕もあった。それもこれも、間もなく幕が引かれることである。バンクーバーの春の魁の宴よ、さようなら。

     らんの繚乱
 「今年もらん展に行かれるのでしょう?」と清瀬オペラ会の帰り道で、Sさんに言われた。世界らん展 会期:2010213日~221 会場:東京ドームである。


 そう言われてみれば、ここ数年というもの、バラだけではなく、らんの花にも目が離せないようになっている。バラの花とらんの花はいわば、花の双璧、甲乙つけがたい双つの玉のようなものである。
 
 華麗なるバラ(薔薇)と妖艶なるらん(蘭)という形容で代表される王者たちである。どちらもすばらしい。

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 花の出自はそれぞれに違うが、双方の愛好家、育種家の丹精もあって、いまでは多くの品種を擁するに至っている。

幸いにも花の時期が少し離れていて、らん2月から、バラは月からである。これが、同時期の開花ともなれば、両花を愛でる人は、さぞ忙しい思いをするであろうが、そうでなかったことにほっと安堵する思いがある。

 また、バラは庭で咲かせられるが、らんは温室がなければ手が出せない。だから、らんを観るにはらん展に出かけるしかないのである。

東京ドームで開かれていた国際らん展は、構成は殆んど例年と変わらずであった。
 会場一杯に、素晴らしいらんの花が溢れ、妖艶にして美しい被写体が待ち受けていた。

 300枚ほど撮影した中から、出来るだけ精選して、本文の最初から随所に挿入した。ご高覧を賜わりたし、である。


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(注) 本文中緑色表記の個所は、外部資料からの引用を示します。(筆者)


                (2010.3.01)


   


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