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296  滝を背に我があつけなき尿かな  [文芸(短歌・俳句)時事]

随想コラム「目を光らせて」 NO.296「朝日歌壇・朝日俳壇から」

           期間: 2014.04~8.25 


 滝を背に我があつけなき尿かな


                  
アオウ ヒコ

                                                                   35-DSC_0256.JPG    

入間川遊歩道沿いの彼岸花ほか by aou hiko)




 *題 目朝日日)加藤秀則さん(福岡市)の入選作。


        『朝日歌壇・朝日俳壇から』

 朝日新聞所載の短歌、俳句の入選作からup-to-dateな作品を選び、筆者がコメントを付しています。コメントは文芸上の範を越えることがあります。また文中敬称は略しています。 句の頭に印が付いている作品は「特定秘密保護法」や現政権が推し進める右傾化路線を危惧する内容を持つ朝日俳壇への投稿句。これらの作品に対しては、そのストレートな叫びに素直に耳を傾けるべしとして、コメントは略しています。(筆者

         

      朝日俳壇 2014.   

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  汗まみれ涙まみれの迷子かな  (神戸市) 涌羅由美

 祭りか催しか、人がいっぱいの中に家族に連れられ、手を繋いで歩いていたのが、何かの拍子に離れ離れになることがある。迷子になる。親は人攫いにでも会ったのかと心配するが、まあ、そのうちに出てくる、出くわすだろう、迷子係へ届けは出しておくか、と軽く考えている。が、親兄弟の姿が見当たらなくなった迷子君の立場となると、そう簡単ではない。

保護者が忽然と消えうせたとなると、これは一大事である。すべての生存権を親に依存しているだけに、その関係が失なわれたとなるといのちの問題である。迷子はそれを何とか取り戻そうと猛然と動き出す。まず大声で呼ばわる。母や父の名を。あるいは単に「オカアサン、オトウサン!」とさけびながら、人ごみの中を歩きまわり縦横無尽に走り回る。そのうち、叫ぶ声が枯れ、しゃがれ声になる頃には涙声でしゃくりあげつつ泣き声が続く。いのちの危険を感じるのか、その頃には迷子は汗まみれ、涙まみれになってその場に蹲る。


親にはぐれて迷子になったら、あちこち走り廻って探すことは止そう。そこにじっと立ち止まって待とう。親は必ずそこに現れるものだ。そういう教えを普段から子供にしておけばうまく行く。

長い人生だ。一度くらいは汗まみれ、涙まみれになる迷子の経験をするのもさせるのも悪くはない。親が現れる前に必ず、親切な大人が現れて、しゃがんで「どうした?。迷子になったか、よしよし、泣かずにここで待とうね」と言ってくれる。その大人は本物か偽者か。立派な人か、そうでないか。幼なながらも鑑識眼が芽生える。

 

 知らぬ間に紅付けられる鬼百合に (城陽市) 山仲 勉

 それは鬼百合にかぎったことではないが、ゆりの雄蕊の花粉は衣服に付くと、そう簡単には取れない。山歩きの途中、鬼百合に出会って近寄りでもすれば、あれ、いつの間に紅付けられたのか、と驚くことがある。怖い鬼百合夫人にいつの間にか紅付けられてというのも、ありそうだから山歩きだけではない。ご用心のほどを。


 荒梅雨や怒髪天衝くこと許り  (高岡市)野尻徹治

 今年の梅雨は荒れ梅雨の名にぴったり。一晩に100ミリ以上のどしゃ降雨が局所的に襲い、土砂災害となって多数の人命を奪った。その被害の大きさに人は皆怒髪天衝くばかりなりであった。恐ろしい荒れ梅雨。今年だけでなく恒常的な荒れ梅雨が襲い来るようになるらしい、この日の本。

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 炎天に烈火のごとき意思ありて みよし市稲垣 長


 初蝉の声にためらひ無かりけり (東かがわ市桑島正樹

 初蝉だから、おずおずとする殊勝な挨拶啼きがあろうか、などと期待するのは無駄というもの。もう、セミは初めから本啼き、本格啼きで始まる。なにしろ、許されたいのちの期間に定めがある。この期間での成就が定めであるので、ぐずぐずしてはおれない。単刀直入グサリとばかりに声を張り上げ、美声轟かせて、相方を呼び寄せる。ぐずぐずしないで。残された時間がないのよ。早く速くとせわしないこと。蝉は節足動物ならずして拙速動物でありにしか。ヒト族にもこの伝のお人ありしか。


 夏痩せの友哀れとも羨しとも (鹿児島市)青野迦葉

 ふっくらとした美人の友。いつも、あまりにも美しくて気後れしていましたに。でも今年の酷暑にやられたのでしょう、夏痩せして現れた。そんなにも痩せてかわいそうに、また羨ましいとも思わせるものがある。ちいとも、痩せず太ったままのこの私のさまを見るに付けても、である。


 一声のありて全山蝉しぐれ (枚方市)中嶋陽太

 真夏の夜の夢ではないが、特に限られたいのちを負わされて地上に這い出た蝉たちは、この有限ないのちの夜をどう過ごしているものか。翌朝からの盛唱のエネルギーを蓄えつつ静かに眠っているのか、それとも日中の大啼き響かせが実って、既に真夏の忍びあいのガサゴソに大童かどうかよくわからない。そして、朝が来る、朝日が昇る。さて今夏、地底蝉族から選ばれ派遣された蝉の総代がその日の啼き始めの栄誉の声を上げる。これを機に山全体が一斉に声を発し、山を振るわせる。全山蝉しぐれに覆われる。

 私は蝉の交響楽を耳にしたことがある。Jカントリーで、カートで疎林にさしかかったとき蝉しぐれに包まれた。耳を澄ますと、内苑のどこかにいるコンダクター役の蝉の声に合わせて林中の蝉が高低の調音を見事なまでに揃えて、鳴きしきるのだった。彼らはばらばらに無秩序で啼いているのではないことを知った。 

          

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 何処に置こ朝顔市の花の色 (福知山市)松山ひとし

 学童の夏休みの宿題に鉢植えの朝顔観察日記の提出というのがいる。鉢と土と朝顔のタネいく粒かを先生から分け与えられ、家に戻ってから播種、芽だし、水遣り、施肥、蔓の誘引、など植物の生育過程を絵日記として記録する宿題である。最初に失敗すると絵日記ができないから、一家総出で朝顔作りに協力し、それぞれに見事な「朝顔日記」を完成させる。

 これとは別に、夏の風物詩として朝顔市がある。ここで売られる朝顔の鉢植えは、園芸士がプロの技術で育てあげるから、どの鉢も、見事な大輪の朝顔の花とつぼみをつけて売られる。朝顔の種を播けば、そこそこの朝顔が咲くことは判っていても、朝顔市で売られる朝顔の見事さには到底敵わないから、「一鉢買うか」と朝顔市に脚が向く。

 花の色は濃赤と濃青の二つである。さて、どちらを選ぶとなると、選択の前に、この色の鉢、家の何処に置けば旨く収まるかを決めねばならない。このいろならば、あそこにおいてもいいな、という判断がいる。「よし、この色で行こう」と朝顔市で決断している。

何か適当な色の朝顔鉢を買い求めて家に帰り、はてさて何処におこうかと迷っているのではない。買う前にあらかじめ置き場を定めて、朝顔の色を決めているのである。


 竹林へ開け広げある夏座敷 (平戸市)辻 美彌子

 長崎の海に囲まれた平戸の地であれば、背後に海があり、やや高地の地所に竹林が広がっている。そこへ向けて、夏の座敷をいっぱいに広げいる。なんと涼しげな光景であろうか。デング熱の伝染元は雑草に棲む蚊であるよ、と喧伝されている身には、この座敷、蚊は大丈夫かいな、とフト思いが過ぎる。地元のお方に言われそうですね。「海風が通り抜けするから、蚊はいないやね。もしいても、アゴが、海岸ぺたを飛翔している間にスイーッと食べ尽くしまっさ」。それで、アゴだしはあんなにも美味であるのかいな。


 大の字に夏の月見る共白髪 (高岡野尻徹治

 なんとまあ、白髪の二人があられもなく大の字で、てんでに息をしている。いや、きれいだねーと夏の月を見上げている。なんともおおらかですばらしい。これが、一人欠けていれば、こうは行かない。友白髪であることの素晴らしさを讃えねばなるまい。 

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 静けさや蛍が川に落ちる音 松戸市大谷昌弘

 蛍の明滅は蛍の意思によるものであろうから、何千匹の蛍が同時に明滅をくりかえしても、人間様には音としては聞こえない。無音の中の明滅である。蛍は水中に入れば、光を消すのかどうか、その瞬間の情景に接したことがないので、なんともいえないのだが、どうも、この歌に詠まれた情景を見るに、蛍は水中に落ちるとき、光を消し、音も伴わない。 静けさの極とも言えそうだ。

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 滝を背に我があつけなき尿か (福岡市)加藤秀則

 尿という字、この歌ではなんと読ませるのだろう。可能性の高い順に並べると、ゆまり、ゆばり、いばり(広辞苑)。

人間さまに限らず、動物、哺乳類は口から取り入れた水分を体内で十分に働かせた後、尿として排泄する。成人1日の排出量は1.52.0リットル。小便、小水、ゆばり、しと、などと呼ばれ、もし、これが出なくなったりすれば一大事となる。

それはさておき、この人物、滝の見物に出かけ、ビールかジュースを飲まれたあと、尿意を催されたらしい。どうどうと音を立てて流れ落ちる滝の壷辺りであったものか、トイレは遠く、致し方なく滝を背にして小用をたされたようだ。背後に豊富な水量で滝の落下が継続するに比べて、また、なんとあっけない我が水量の放出であったことか。おい、もう終わりかいな、ちと情けないじゃありませんか!と嘆いている。

小水の量と継続時間を滝のそれと比べるというのもどうかと思うが、それなりに面白い。しかし、最初から、滝の水勢と響きに対峙したいとするならば、まず滝に背を向けるなどの消極策は採るべきではなかろう。却って正々堂々と前を向き、前をはだけるのが紳士道ではないか。

そこで大一番の放水の氣張りがあって緊張が走り、当初は滝水を凌駕、次に互角の並行、ややあってタンク容量の減少による衰退、終には致し方ない終局。あっけなきダウンジョン。

 前方の滝の落下音は依然として高らかに鳴り響く。これと妍を競ったわが小滝は後方支援の量が及ばず、いまや水脈枯れ尽きて滴る音も途絶えて聞こえず、となる。

汝、負けにけりである。しかし、敢然として滝の正面に向けて対峙した男が放った小滝であれば、その呼び名は(ゆまり)でもなく(ゆばり)でもあるまい。ここは(いばり)であったとしたい。滝つぼに落ちる滝水に対抗した我が水は(いばり)であるぞ、あったぞと高らかに威張ってみたいからである。  

         
          朝日俳壇 2014.8.10

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 ★戦争の足音を聞く暑さかな (三豊市)磯崎啓三


 征きし日や昭和の蝉のこゑのなか (城陽市)山中 勉


 十薬のはびこる庭も受け継ぎし (奈良市)名和佑介

 錚々たる庭木を持つ庭園をも持つ屋敷を相続したというのなら良いんだが、狭い庭いっぱいにドクダミが蔓延っている家を相続した、と嘆いている。とんでもない。ドクダミの生葉を重ねてフォイル焼きにした緑の軟膏を、ほって置けばいのちに関わる面ちょうや臀部の腫瘍に貼れば、まもなく痛みは取れ膿が出てみるみる快癒する。先祖からの貴重な贈り物だと感謝すべし。花の咲くころに茎葉を採取、蔭干しにすれば、煎じ薬として重宝する。いい相続をなされた。

 戦争を語らぬ母や水を打つ 東京都長谷川茂子


 原発と基地とまたぞろ原爆忌 (福津市)松崎 左


 風吹けば風になりきる麦の秋 (長野県川上村)丸山志保

 風が吹いていなければ、麦穂が出た麦畑はじっと留まって静そのもの。だが、いったん風が立つと、麦畑の麦の穂は一斉に風を受けて靡き、自在に風のありかを示し続ける。いつまでも見続けたいのは、麦畑を渡る風と麦とが奏でる麦の協奏曲の調べ。        

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 蝉の殻九条どこへ行くのやら (茅ヶ崎市)佐藤権一郎 


 滝となり水仰がるる拝まるる  (茅ヶ崎市)清水呑舟

 平地をただ流れるだけの川だと、おっ川か、と一瞥をもらうだけでだろう。特に拝まれたり、信仰の対象にはされない。が、これが高所から流れ下る滝となると、一転、仰がれて拝まれたり、する。これは高い山も同じ。高山の深奥には山を統べる神が宿ると信じられ、この神に出会うために登山する人さえいる。

となれば、高所から流れ下る滝の水には精霊が宿るとされて仰がれ拝まれることになる。不思議だなあ、などと思うこと自体不遜でありまするぞ、などと難詰されるほどではなく、皆さん漠然と感じておられるようですね。


 ★原発を睨んで立つは原爆忌  青梅市)津田洋行

 ★戦争へまた戦争へ原爆忌  (前橋市)吉江充慶              

 ★フクシマを忘るる国に原爆忌 (いわき市)中田 昇

 梅干すや百に足らざる数ながら (福岡市)増重成一

 我が家の両親はまあ夫婦仲はよかったが、梅干に関しては、双方、仮言的三段論法を以って激烈な論争をしてやまず、死んで初めて片がついた。父は「梅干は病気になったときに食すべきもの。普段は食べなくてもよい。だから梅干など作る必要なし」。片や母。「毎日一粒、梅干を必ず食べよ。さすれば年間病知らずとなるべし。一家の主婦はそれだけの量を夏の土用干しで必ず準備せよ」と、毎夏梅干つくりに励んだ。

 確かに立派な梅干を作り上げるまでには多くの手間が掛かるが、百つくるのも、2百、百作るのも手間は同じである。 話を戻して、父は年間数個の梅干摂取で78歳没。母は毎日1個摂取精勤で94歳死去。長生きしたければ、梅干沢山食べるべし。長生きしてもらいたくないならば、梅干を食させるな。となるようである。

老齢者および高齢者を抱える人、立場はさまざまであろうから、それぞれに思料されてこの梅干の延命効果を実地に応用されたらどうか、などと教唆するつもりはない。

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 紫陽花の今日確かむるけふの色 (青森市)小山内豊彦

 紫陽花は梅雨の頃、花が少ない端境期に花をつけるので珍重される。色は薄緑のつぼみのころから長い時間をかけて青から赤紫へと変化するので「七変化」とも呼ばれる。のみか、最後はドライフラワーとしてもいのち永らえるので、八変化くらいになるのかも知れない。「今日はどの程度の色に変貌していますかね」と確かめるヒトも多い。 


 ★終戦と言わざる人や敗戦忌 (大津市)西村千鶴子




 
     朝日俳壇 2014.18                     

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 昼寝して余命を減らしをりにけり熊本市)永野由美子

 これはひとにより、昼寝の効用について意見、というか感じ方が大きく分かれそうだ。昼寝をして休息をとれば、夏の暑さをしのぐ体力の温存につながり、寿命も延びると思う人がいる。一方、昼寝している時間は寿命の内、昼寝を1時間すれば、この間に寿命が1時間少なくなる、短くなっている、と考える人がいる。

その中間派はいないようだ。「昼寝して得をした」「昼寝して寿命が延びた」と喜ぶのが前者。「昼寝して損をした」「昼寝して寿命が短くなった」と嘆くのが後者。さて、あなたはどちらの派に属するのだろうか。なに?待ってくれだと。オレはそのどちらでもないぞ、と手をあげたのか。こういうときに必ずこうした人が出てくる。ああでもない、こうでもないと、どちら着かずの立場をとる鵺(ヌエ)のような人たちだ。鵺は昼夜の区別もつかず、昼寝をしないようだから、対象外だよ、とここでは切り捨てることに。


 立秋やあとがきを書く初句集  (東京都田治 紫

 ようやく作品の数も揃って句集発行の運びに。暑さも一段落した立秋の日に初めての句集の「あとがき」を書いている。なんと爽やかな思いに満ち溢れた瞬間であることよ。気分清々、いい秋だな、である。 初句集 おめでとうございます。 若い人も言っていますよ。「初句集、イイッスね、イイッスヨ」。どこかの暖簾にでも連れて行きますか。


 遊船の水脈太平洋を真つ二つ  神戸市)涌羅由美

 世界一周をする客船が横浜あたりからいくつも出ているようだ。選ばれた幸せな人となって、甲板に出て、船尾に回り、出航した客船の航跡を見ている。これほどの大型船になると、巨大なスクリュウでかき回されて浮き上がる白い航跡は、直ぐには消えず、長く続くためにこの水脈で太平洋が真っ二つになっている、との素朴な感動が歌われている。

 見た人でないと、わからないという部類の景観と感動であるように思われる。一度、想う人と世界周遊の旅に出て、客船の航跡が消えるまで船尾にたたずむというのも悪くないなあ、と思わせるではないか。


 遺骨なき十七歳の敗戦日  (坂戸市)安達順子


  牛に餌直ぐそう思う夏の草 松本塩原勇之助

 見事な夏の草が繁っていると、あ、この草を家の牛に呉れてやりたいね、とすぐ思う。というのは長年牛飼いの仕事を続ける人。餌の大切さを如実に知り尽くしている人であればこそである。おいしそうな饅頭やケーキを店頭で見かければ、あ、このお菓子を妻に、子供に、彼女に土産にしてやろうと思うのと同じ。だが、すぐ、それを現実に実行に移せないところがやるせないところ。思うだけじゃだめよ、いつもそうなんだから!とダメが飛ぶ所以でもありますなあ。 

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 花火果て渚にもどる波の音  奈良市)田村英一

 臨海地帯の住民が夏の終わりに心待ちにしている大花火大会。その日の前からの準備作業も加えて、当日の花火見物の観客のにぎわいと、炸裂する打ち上げと仕掛け花火の音と色彩にどよめきが終夜続いた。だが、今朝は昨夜の花火の宴も終わって、海辺は普通の渚になっている。波が波打ち際に寄せては返すを繰り返す静かな朝をとりもどしている。花火の饗宴も良いが、このような朝も堪えられない。


 終にきし二人暮らしや心太 長崎市)濱口星火

 いつかは来ると思い覚悟していた二人っきりの暮らし。まあ、つましく、そこそこの楽しみを大切にして暮らして行きましょうかねえ。あなた、一緒にあそこの「一突きで出る心太」でも食べに行きましょうか。いいねえ、そうしよう。すぐ行くか。


 戦争のせめて歯止めに原爆忌 弘前市三浦博信


 蝉しぐれ明日なき声も混じりいる (生駒市)野嵜道子

 今日この時間現在、一斉に啼きしきる蝉たちの合唱、蝉しぐれ。よく耳をお澄ましよ。あの斉唱の中には、この世の生存期間最終日を迎えた蝉も混じっている。いち早く地上に這い上がったのだから、当然だよと仲間も知っている。われらの寿命より少しは長い寿命のヒト族がセミの短かい寿命をかわいそうだとしているそうな。

セミ族は言うだろう。そうかなあ、ヒトの寿命と比べて寿命にそう違いはないと思うけどなあ。その間に何をし遂げるかですよ。さて、最後の一啼きでもしに行きますか。

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 空蝉に言ふことはなし朝日さす  (横浜市)田中靖三

 地上に這い上がった蝉の成虫は近くの木々の枝に前足の鎌の部分で体を固定し、夜の間に人知れず脱皮、地球表面の空気に触れて静かに蝉の強健な個体を完成し、朝まだきに飛び立つ。残されたのがセミの抜け殻は、日本では「空蝉」。美しい言葉で語られる。

朝、近くの枝木にセミの抜け殻を見つけたヒトは、ぬけがらにそっと手を触れて「よくがんばってこの世に現れてくれたね。よろいを脱ぐのも大変だったろうな。今までの君の成就にはすべて満足。何も言うことはなしだ。ちょうど朝日が差し染めてきた。今朝から始まる君の一週間のいのち、大変だろうけど、しっかり、おやりよ。


 戦争に懲りざる国よ敗戦忌  兵庫県伊那川町) 小林恕水                                 




俳壇 2014..2

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 ★体験の黙殺さるる敗戦忌 (埼玉県皆野町)宮城和歌夫


 花火の間うなじ見られている気配  京都市山口秋野

 男は、花火が炸裂している間はさすがに空の花火を見ている。でも、次に上がる花火の合間は彼らの視線は地上に降りてきて、花火見物に来ている美女の美しさを探している。あれあれ、視線が私のうなじに止まったようね。しっかりと、舐めるように上下している。なにしろ、いい女で通る私が浴衣姿で、髪を上でまとめてうなじを強調した今宵のお出ましだもの、見ないで済ますわけにはいかなかったようね。あ、重ねて何人もの男の視線が。感じるのよね。どんな気持ちかって? そうね。ちょっと勝ち誇っての、いい気持ち。私の美しさに乾杯!でも、こうも視線が殺到すると、ちょっと重いし疲れる。大概にせんかいとも言いたいわね。いい女は辛いね。

 シャワー浴び昼寝を誰に詫びましょう(千葉市)牛島晃江

 私は相当にお歳を召したお方、ほかに家には誰もいないことだし、シャワーを浴びてそこらに寝っ転がって昼寝をしようと何をしようと、誰にも迷惑をかけているわけではありません。ごめんなさいなどとお詫びすることはありません。おわかりいただけますね。 


 老残の防恩の身に風死せり (豊中市)西 京二郎

 もう相当に齢をとったからとして、よそ様から頂戴した大小の恩義に対して何もお答えせずにいたのでしたが、いけませんでしたね。いままで我が家に入り込んでいた世間の風がピタリと止み、手紙も来なければ贈り物も来ない、「元気ですか」の電話さえ鳴らずの日々がずうっと続いている。お前さんからは生きた証拠が何も寄せられてこないから、もうこの世にはいないものと思ってのことだったよ。としてお宅には何も生きた風を送らなかったわけさ。そうでしたか、生きておられたのですか。よかったですね。とそれだけ。ごきげんよう。風は死んだまま。生きた風が我が家には入ってこない。因果応報ってやつかな。

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 蝉時雨老いて従ふ子を亡くす (東京都)松村登美子

 わが子よ。老いたらあなたに頼ろう、すべて従おうと思っていたに、先立ってしまうとは。何たること。この悲しみは親に味あわせてはならないのです。いまは、秋の到来を前にいのちをかけて啼きしきるセミ時雨の真っ只中。その中に混じって私も泣いています。


 敗戦日娘のスカートの寝押しなど (東京都)小玉正弘

 国力を使いはたして米国に負けたころ。女子中学生、高校生の制服は紺のスカートで、5センチほどの幅の折りが入っていた。当時はこの折りの線をキチンと付けるために夜寝る前にスカートの襞をそろえて畳上に置き、その上に敷布団を敷いて就寝する。その体重でスカートには襞の折り目が付くという仕掛けを毎日繰り返していたが、これを「寝押し」と呼んだ。敗戦日のころを思うに、娘のスカートの寝押しなどがあったなー、と懐かしがっている。アイロンもなかったか。

 夜濯ぎの異国の水の硬さかな (加古川市)森木史子 

 外国旅行をされた。ヨーロッパでのことだろう。シャツかハンカチか、小物の洗濯をホテルでされたらしい。ところが石鹸の泡立ちがはかばかしくない。シャンプーでもそうだ。これは水が硬いからだ、とあまりにも日本の洗濯とは違うなあと実感されている。

水が硬いとは水の中に硬度成分(カルシューム、マグネシューム、鉄分など)が多く含まれているものを言う。この逆の水が軟水(ナトリウムを含む)と呼ばれるが日本の水は大体軟水であるから、洗濯には重宝する。よく泡が立ち、洗浄能力も高い。水が硬いといっても、水を口に入れて噛んでみてガチッとくるというのではない。ただし、飲料水としては、少し硬い水であるほうが美味しい。冷やして飲めばもっと美味しくなる。

  人類は発明しすぎ原爆忌 (立川市)松尾軍治


 山の端を掠め闇切る夜這星 (大阪市)友井正明

 夜空を眺めあげているうち、天空を過ぎっていくつもの星が流れる。高い空から鋭く舞い落ちる流星もあれば、この句のように低く山の端を掠めて流れるのもある。低く闇の中を目を光らすように飛ぶものだから、あいつは夜這いするように流れるな、と洒落た名付け親になった。数ある宇宙の天体の中の住人の中には、流星を見て、「目の付け所がいつも低いものですから」などと言い訳する上品な鑑識眼を育てている種族がいるようです。                 

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            (2014.101)




       


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