随想コラム 目を光らせて NO.419-2「朝日歌壇・朝日俳壇」ら。


 


      歌壇 期間:2019.8.18~2


 


    きりぎりすの骸を5ミリ動かせば蟻に


    ひろがる無音のどよめき


  


      *題 目;朝日新聞:2019.8.18


                   こやまはつみ さん松阪市)の入選作。


 


                アオウ  ヒコ      


                                                         ★


     水彩画家 酒井 健の作品から;


    190728 インコ   


 こんばんは!長かった梅雨も明けそうです。暑い夏が来ます。どうかご自愛ください。インコを描いてみました。(酒井 健                                     


                 


            朝日歌壇 2019..18










              薔薇   25


 月の夜はホームの母を思い出す窓の開かない六人部屋 


     下野市石田信二


 


 携帯の電話置き来て荒川に一人の釣りをすラジオも持たず


     (東京都)成田周次 


        


半分も投票をせぬこの国の半分消えている民主主義     


      (長崎市)田中正和


 


 潮風をまとふ小樽の坂道はまるで海へと続く滑走路


     (札幌市)伊藤 哲


 


原発を廃炉にすればその場所が高濃度汚染物の保管


     (郡山市)柴崎 茂


 





               ばら  26



 


 忌の近しまた思い出す八月の河野裕子の死に際の歌   


      (東京都)長谷川 瞳


 


 さざれ石の心を持ちて恒久の平和を願うわれは老いたり


      (成田市)神郡一成


 


巨大なる鯨のような原潜の曳き波うねりわが船ゆら    


       (西海市)原田 覚


 


 尊さに気がつかぬまま生きて知る健康という奇跡の時間


      (仙台市)沼沢 修


  


きりぎりすの骸を5ミリ動かせば蟻にひろがる無音


  のどよめき    (松阪市)こやまはつみ 


 「きりぎりすと蟻」の物語は夙に名高い。だが、このキリギリスは蟻


に食を乞うこともなく野原で命絶え、その骸の存在を発見した蟻の先兵


が本部に伝え、今や獲物の輸送の方法が伝えられて職人蟻の出番となり、


巨体を曳く方法が採られていたことだった。蟻の大きさは獲物の大きさ


に隠れているため、人の目には映らなかった。数寄な人が杖の先で、キ


リギリスの体躯ををちょっとつついてみた。ああ、その瞬間キリギリス


の陰から何千の蟻の黒がわっとはみ出したのだ。数寄人の目にはそれは


無音のどよめきと映った。 


 


               


 


     朝日歌壇 2019..25


 




            バラ  27



虹立ちて山川草木あらたなり海なき國に原発あらず 


         (長野県)沓掛喜久男


 


いつもより力を込めて若和尚原爆投下の刻に鐘つく


          (三原市)岡田独甫


 


父は死に我は生きたり原子雲の下で二キロを離れただけで


      (アメリカ)大竹幾久子


 


乳母車に妹乗せて火葬場へ母と歩きし戦時の記憶


     (福岡市藤掛博子


 


 戦時の乳母車は二人の乳児が向かい合って乗る構造をしていた。もの


運ぶにも便利な深さを持っていた。食料難を逃れるために、主婦は田


舎への買い出しに出かけるときにこの乳母車を押して出かけ、物々交換


で得た食料をこれに積んで戻ってきた。ほかにも使い道があった。早世


した妹さんを乗せて火葬場まで母と二人で歩いて行った記憶。忘れられ


ない。


 


何時までも戦争の話するなよと言われた昭和の時代でさえも 


          (大阪市)由良英俊


                    






               バラ   28



「俺に出来る事はないか」と問えば「見舞いに来るな」


 と癌の友逝く  (高槻市)東谷直司 


 


 友人はさらばえた自らの姿を友人の目に曝したくなかった。俺のこと


思ってくれるならそうしてくれ。と泣くような気持ちでそう言った。


ああ、ついにその日が来た。淋しい限りだ。


 


四つ文字が二文字となりて定着す正しく言えば「原子爆弾」


    (舞鶴市)吉富憲治


 


 京アニと兄さん呼ぶごと人が泣く三十五人に花供へつつ 


     (埼玉県)小林淳子


 


国会は数の力でないことを示してくれた障害者議員


     (石川県)瀧上裕幸


 


乱射後も銃捨てぬ国蔑すれどその国の核たのむ被爆国


     水戸市)中原千絵子


             



               バラ   29

 


「表現の不自由展」がテロ予告電話に圧殺される不自由   


     (観音寺市)篠原俊則


 


 かいぼり後水草しげり鳰の子らかくれんぼする井の頭池


      (三鷹市)山川裕子


 


目を伏せて惨禍を語る原爆孤児後の辛酸滲む映像


     (広島市)岡山礼子


 


戦地より生まれる吾子の命名を記した手紙文箱に残る


     (いなべ市)小林桂子 


 


原爆忌声朗々と響かせて奈良岡朋子「黒い雨」読む


     箕面市)田中令三


 


 四桁の暗証番号ふっと消えATMに立ちつくしをり


     (市原市)脇坂百代


 



              バラ   30

 


 ごちゃごちゃと散らかる部屋に寝ころべば何も置かれてい


  ない天井  (国立市)佐藤 建


 なるほど、もうものを置く場所がない部屋に寝そべり、上を


向けば天井には物を置く場所があるなあと、ものぐさ君はこれを新発見


だと言いたいのか。戦時中、天井板はいろんな処遇に会ったことを記して


おこう。終戦間際には日本は制空権を失い、これを機に日本全土を焼き尽


くせとして、勝手気ままな米機による空襲に晒された。B29から油脂


夷弾が降ってくる日々。首都東京から順次地方都市へ焼夷弾攻撃は広がっ


た。


 そのころ内地の軍部は次のような通知を隣組の組織を通じて、発したも


のだ。「家に天井があれば、屋根を貫通した焼夷弾がそこに止まり火炎を


発するやもしれぬ、よって、家屋を持つ住人はすべからく天井板を撤去せ


よ」との軍命令が下った。九州の実家でも、いつの間にか天井板がなくな


り、その部屋に寝れば屋根の裏板がじかに眼に飛び込んだ。これは本当に


無駄で、阿呆な発想だった。焼夷弾は不発がかなりあったものヽ天井で止


まることなく畳や根太を粉々に壊し抜いた。


 ああ、天井板のない部屋に寝て、視線がじかに薄暗い屋根裏にまで届く


切なさよ。目をいち早く閉じるほかにない。こんな座敷になってしまって


情けないことだな、毎晩そう思い続けていた。


 現世の君に告ぐ、部屋をきちんと整理し給え、天井板のあるを有難いと


思い給えである。そして戦争を憎め、である。


 


             


 


       (2019.11.01)


 


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