随想コラム「目を光らせて」NO.388「朝日歌壇・俳壇から」
歌壇 期間:2018.6.3.~6.24
かこかこと獅子舞は舌を揺らしつつ
通りし後に泣く子らの道*
*題 目: 朝日新聞:2018.6.3
(奈良市)山添聖子さんの入選作。
アオウ ヒコ
画像:洋画家 青沼茜雲 の作品集から 51.
望郷「スペインにて」
・フランス・サロン・ドトンヌ会員 ・英国王立美術協会名誉会
・ノルウエーノーベル財団認定作家 ・世界芸術遺産認定作家
・日本代表殿堂作家
「朝日歌壇・朝日俳壇から」
朝日新聞の歌壇・俳壇の入選作の中から最近の事象を鋭い表現で切
り取った作品を選び筆者がコメントを付けています。コメントは文芸上
の範を越えることがあります。
作品の頭に★印が付いた作品は、時の政権が推進する前のめりの右傾
化路線や平和憲法を無視し、国会の存在をないがしろにするさまを放っ
ておけぬとする市民の声であり叫びであります。これらの作品は、ここ
では個々の作品の文芸上の軽重を問うことなく、全作品を網羅、採録し
ています。これらの作品に対しては作者の真摯な叫びに読者の耳素直に
従うべし、としてコメントはつけておりません。
また、文中敬称は省略しています。(筆者)
朝日歌壇 2018.6.03
★「セクハラ罪」確かにないわな天が下に「失言罪」の無き
と同じく
(宝塚市) 小竹 哲
★曇天のような秘書官都合よき記憶の森を抜けて何処へ行く
(京都市) 森谷弘志
★万策の尽きたる時は吾も行き共に座ろう翁長雄志と
(沼津市) 米山隆太郎
パリの空に口づけしたまま浮いている恋人たちの萌黄の
こころ
(フランス)松浦のぶこ
厳しい冬が去り、パリにも春がきた。若い恋人たちにとっては待ちかねた季節
である。萌黄の色が、恋人たちにふわふわと落ち着かないこころを誘っている。
夕されば白き魚体のまぶしかり柳鮠跳ねて水の輪生れて
(西条市) 亀井克礼
柳鮠(やなぎばえ;小型で柳の葉のような形をしたハヤ。ウグイやオイカワを
いう。(広辞苑) 近くの川辺に夕刻に出て、小魚が水面に跳ぶのを見ている。そ
のたびに生れる水の輪も飽かず眺めて。
「あめのうお」とはなんと美しき名しずかなる五月雨に染む
青き琵琶鱒
(名古屋市) 山守美紀
琵琶鱒をこの地では「あめのうお」と呼びならわすのは、静かに降る五月雨に
染まりし青をまとうから。かくも美しい名を付けてくれた先人の感性を讃えずには
いられない。
*かこかこと獅子舞は舌を揺らしつつ通りし後に
泣く子らの道
(奈良市) 山添聖子
獅子舞が往く。獅子の頭には大きな口の中に、動かすたびに、かこかこと音
を出して揺れる舌を擁している。獅子舞の使い手は、道行く幼児を見つける
たびに、獅子頭でその子をパクリとやるものだから、喰われた子供の災難思う
べし。ギャアとの泣き声が次々に突出し、それを宥める親御の嬉しい声も混じ
るその道の長いこと。
母二人百歳近くなりし日は互いに見知らぬふたり同志に
(熊本市) 徳丸征子
若い二人が婚姻すれば、それぞれに生じる生母(又は実母)と義母。突然の
出会いの挨拶は「うちの子をどうぞよろしく」であったが、その二人がともに百歳
近くともなれば、その挨拶も経年変化して、「あのう、どちらさまで?」 となる。
にこにこしているのは変わらずか。
保育士の膝から降りて動き出す遊ぶちからがもりもり湧いて
(長岡京市) 深沢悦子
下手に抱こうものなら、そのくびきから脱出せんともがき続ける。その力強さ
はいのちそのもの。これから百年近くを生きようとするのだもの、拘束するもの
は全て突破しなくちゃ、とするのです。
★ネクタイの付け根のあたりの咽喉ぼとけ本音を言へ国民のため
(小城市) 野中 曉
競うとき苦しげに人は走れども馬は雅にのびやかに駆く
(横浜市) 竹中庸之助
確かにマラソンなどの長距離走では人は苦しげに走る。だが近時、
俄かに激烈化した男子100m走の選手たち。9秒台の記録目指して実に
のびやかに喜喜として走るではないか。速く軽快に走るをモットーに
創りだされたサラブレッドの駿馬たち、競馬場のスタート枠に収まる
まで駄々を捏ねる馬がいる。だが、軽量とは言え背に騎手を乗せて走
り出す段になると、騎手の手綱と鞭に支配されての走行となるので、
お世辞にも雅にのびやかな駆走とはいえそうにない。
朝日歌壇 2018.6.10
妻が病みわれ老いたればいづくにも手を組みてゆく
恩寵として
(浜松市) 松井 恵
若い男女二人が立ち歩くとき、いつも手を握り合う態をどう見るか。
仲がよくいいですね、とする一方、デレデレしやがって、場をわきまえ
ろよ、と苦々しく思う人もいることだろう。
さて当方の近況;妻も私も老境に突入した今、何処に行くにも手を組
んで出掛けるようになった。二人で思っている。こうした姿を曝しても、
だれからも指弾されずに彼らの海容の中にある。大きく言えば「恩寵」
として受け止められていると。
海霧がはれて闇濃き草むらに小さき光初ホタル飛ぶ
(高松市)島田章平
広大な暗闇の中の叢の中に一点の光に出会う初ホタル。あれは、誰か
のいのちの化身と思えば、なおのこと人ごととは思えなくなる。
立ち飲みの中年客の足元の鞄の上の薔薇の花束
(川越市)渡邊 隆
家に帰る前にちょっと飲んでゆくかと立ち寄った店に先客あり。その
足元に鞄があり、薔薇の花束が置いてある。ああ、そうか。今日が最後
の勤務の日。仕事仲間から寄せられた退職記念の薔薇の花束をこうして
ここまでもって来た。少し暗くなって目立たぬ時刻まで、ここで時間を
潰そうというのか。早く家にもってお帰りよ、奥さん待ってるよ、と言
いかけたが、言い淀んだ。独りでいるのかもしれんよ、と思いを巡らし
たからだ。
水張りて水鏡となる千枚田走り雨来る水鳥のごと
(安芸高田市) 菊山正史
間もなく田植えだ。代掻きをし、水張りして千枚田に水鏡ができた。
そこへ走り雨が来て、水鏡が壊れた。一斉に水鳥が来た時のように。
また今日も満員電車で食わされたりリュックパンチと
スマホ肘打ち
(浦安市) 野田充男
満員電車で敵わんのはリュックを背負った男よ、というのは知ってい
たが、これに加えるにスマホ肘打ちが加わったというのか。
アベックの等間隔に座す初夏の鴨川右岸の甘き夕暮れ
(安中市) 鬼形輝雄
京都に青春の愛を育んだ男女に忘れられないのは鴨川右岸であろうか。
等間隔の座は自然発生的にできたものであろう。陽が落ちるのを二人連
れが自然体で待ちかねている。ああ、私もここに居たことだったわ、と
懐旧に耽る人は、あの鴨川右岸の甘さ、を知ってい
る。 つづく → NO.388-2
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